家紋長田神社

由緒書き

HISTORY

長田神社由緒

長田神社社殿

長田神社は鳥取の創始時代に鳥取の産土神(うぶすながみ)として久松山の山麓に奉祀されました。 天文14年(1545年)、布勢の城主・山名誠通の久松山築城により千騎ヶ崎の背尾へと遷られ、 以後、山名・吉川・宮部・池田と歴代の鳥取城主の産土神として崇敬されてきました。

慶安3年(1650年)、鳥取東照宮の創祀にともない上町へ遷座され、 大正13年(1924年)に現在の社地へと還られました。

神社創始としては優に500年以上の歴史ある社であり、 鳥取の総氏神として鳥取城やその城下町の産土神として信仰されています。 また、商売繁昌・学問・勝運・導きの神として、広く厚いご信仰をいただいております。

御祭神

事代主神

事代主神

ことしろぬしのかみ

大国主神の御長子。御父神とともに国土の開拓・人心の安定・産業の発展に努められました。世に恵毘須(えびす)神として崇められ、生産業繁栄の神として広大な御神徳を仰がれています。

猿田彦神

猿田彦神

さるたひこのかみ

大歳神の御子。天孫降臨に際して御先導を務め、帝都を選定し奉安されました。幸を導く「みちひらき」の神として崇められています。

誉田別尊

誉田別尊

ほんだわけのみこと

第15代・応神天皇。御在位中は国富み兵強く、学術技芸も盛んに伝来し、我が国の文化の発展に努められました。尚武の守護神として奉斎されています。

菅原道真命

菅原道真命

すがわらのみちざねのみこと

天性の賢明英知により11歳で朝廷に出仕し、文章博士・右大臣に任ぜられて国政に貢献されました。後世、学問の守護神「天神様」と称えられています。

神社の創始と沿革

創祀の年月は不詳ですが、鳥取の創始時代に産土神(うぶすながみ)として、 久松山の山麓に神社を建立し奉斎したものと伝わります。

天文14年(1545年)、因幡国布勢の城主・山名誠通が久松山に初めて築城した際、 神社は城外東南の千騎ヶ崎の背尾に奉遷されました。これが第二の鎮座地であり、 これ以後、歴代城主も産土神として崇敬することとなりました。

慶安3年(1650年)、日光東照宮の御分霊を奉じて樗谿神社(現・鳥取東照宮)が創祀されるに及び、 長田神社は総門内から上町へ遷座されました。これが第三の鎮座地です。

元文6年(1741年)、本殿をはじめとする社殿一切が竣工しました。現在の本殿はこれにあたります。 その後、大正13年(1924年)に現在の社地へと遷座され、今日に至ります。

移転遷座の行列
移転遷座の行列
移転遷座当時の拝殿
移転遷座当時の拝殿
大鳥居の施工
大鳥居の施工

神社境内案内

本殿をはじめとする社殿の多くが国登録有形文化財に登録されています。

本殿

本殿

国登録有形文化財

竣工:元文6年(1741年)

大正13年に上町から移築されたもの。棟札によれば元文6年、藩主・池田宗泰によって再建されました。随所に池田家の家紋「揚羽蝶」が添えられた名建築です。

拝殿・幣殿

拝殿・幣殿

国登録有形文化財

竣工:拝殿 元文6年(1741年)/幣殿 大正13年(1924年)

本殿とともに上町から現位置へ移築。移築の際に拝殿の桁行を拡げ、幣殿を一体的に増築しました。鳥取東照宮の拝殿・幣殿の形式を継承しています。

中門

国登録有形文化財

竣工:大正13年(1924年)

移転遷座の際に新築。丸柱4本の上に浅い勾配の切妻屋根を掛け、両開きの格子板戸を備えて透塀と一体化しています。

透塀

国登録有形文化財

竣工:昭和6年(1931年)

総ヒノキ造りで上部は縦目格子、下部は板壁。庇の深い屋根を掛けた大変凝った造りです。大村久兵衛氏の奉納によるものです。

神饌所(仮殿)

神饌所(仮殿)

国登録有形文化財

竣工:大正3年(1914年)

木造平屋建て・入母屋造りの簡素な建物。神饌(供物)を整える場で、本殿修繕の際には仮殿としても用いられます。

神門

神門

国登録有形文化財

竣工:昭和10年(1935年)

総ヒノキ造りの四脚門(薬医門)。鏡柱を丸柱とし、銅板切妻屋根で覆われています。上田喜太郎氏の奉納によって造られました。

手水舎

手水舎

国登録有形文化財

竣工:昭和4年(1929年)

手水鉢は安永7年(1778年)に上町に据えられたものを大正13年に移設。これを覆う屋根は昭和4年、大村久兵衛氏の奉納により造られました。

祈祷殿

祈祷殿

国登録有形文化財

竣工:昭和34年(1959年)

昭和34年に新築。平成19年の社務所建替えに当たり、長く親しまれた大正13年造の社務所の唐破風の玄関を移設し保存しました。

御神木・御神池

御神木

御神木

樹齢約300年以上の見事な大ケヤキは、とっとりの名木百選(鳥取市保存樹木)に指定されています。参道のタラヨウ、御神池のもみじなど、久松山に緑生い茂る御神木は荘厳な神域をかたちづくり、御神徳の広大無辺を感じさせます。

御神池

御神池

大鯉の憩う御神池は、御遷座以前は鳥取城や久松山周辺の用水溜池でした。現在は神社の御神池として、参拝者の憩いの場として親しまれています。

黄金子の碑

黄金子の碑

昭和19年、鳥取県より送り出された満蒙開拓青少年義勇軍「黄金子訓練生」の 50周年記念として、出発集合の地であった当社境内に建立されています。

現鎮座地への御移転

大正13年(1924年)12月1日、現在の鎮座地への御移転遷座祭が斎行されました。 この移転の実現には、次のような経緯がありました。

大正6年末から翌7年にかけて、時の鳥取県知事・佐竹義文氏が風雪を厭わず日参のように参拝され、 大正7年2月の祈年祭に自ら幣帛供進使として参向し、 「長田神社は由緒深い古社でありながら、この狭隘な山際の地に鎮座されるのは恐縮に堪えない。 速やかに適地を選び、移転を敢行しては如何か」と提唱されました。

同年3月、知事と社掌らで候補地を視察し、現在の社地を最適地と定めました。 この地は国有林と用水溜池であったため、知事が直接懇請を重ねて譲渡を実現されました。

移転事業の推進にあたっては、奈良県の社寺建設専門技師・坂谷良之進を招聘し、 設計監理を委任しました。現在の社殿の優美さと斬新さは、この技師の指導の賜物といえます。

移転遷座百年奉祝事業

大正13年12月の長田神社移転遷座祭より、令和6年(2024年)に移転遷座100年の佳節を迎えました。 これを記念する奉祝事業として、本殿幣殿透塀等改修工事を進めております。